2016年8月号

社長からのLove Letter 新創業第2(2016) 8月号

『平和への祈り』

8月に入りました。今年は一段と気温が高い日が続き、猛暑の中毎日のおつとめ本当にご苦労様です。

旧暦名では葉月ですが四季のある日本での気温がピークになる月、また夏休み、お盆行事があると同時に 「終戦」 を迎えた月でもありますね。原子爆弾が広島、長崎に投下され、沖縄を占領した米軍がいよいよ本土に迫ろうかという国としての退路をほとんど失った71年前の夏。

 

島田叡(しまだあきら)と言う人物をご存知でしょうか?

 

終戦の年、昭和20年の一月に最後の官選知事として沖縄県に赴任した戦前の内務官僚です。

彼は、日本軍の劣勢が極まり、主要都市が悉く空襲され米軍がいよいよ本土上陸という事が現実味を増した正にその時に内示を受け 「誰かが行かなければならんのなら(死にに行くと分かっていても)私が断る訳にはいかんやろう」 と家族にも相談せず即諾しています。

 

沖縄県知事に着任してからの島田の活躍は興味のある方は調べて頂きたいと思いますが、彼は県の役人と共に米軍の攻撃を逃れながら各地の防空壕や洞窟を転々とし、一人でも多くの沖縄県民の命が救われるよう寝食を忘れて行動します。

特に命を顧みず、すでに制海権を失っていた海を渡って台湾に赴き県民に配布する大量の食糧を確保してきました。また地域住民を巻き添えにしてでも 「本土進攻」 を食い止めようとする日本陸軍と対立しながらも、可能な限り多くの県民を島の北方へと避難させます。

そして最後は、同行の県職員をも道連れにしてはならじと逃げ延びた壕の中で県庁解散令を出し彼らを逃げさせます。以降単独で行動し遂には人知れぬ地で自害したと伝えられています。

沖縄の人々はそういった彼の功績を称え、敬愛の心を持って戦後 「島守の塔」 を建立し永く彼の功績を顕彰、慰霊しています。

 

「断じて行えば鬼神もこれを避く(断而敢行鬼神避之)」

これは島田の座右の銘ですが、学生野球で活躍し、官僚になった後も立身出世よりも人としてどう生きるべきかを追い続けた彼の生きざまを端的に表した言葉ですね。

 

8月は戦没者慰霊の行事が各地で盛んに行われますが、こういったたくさんの有為な人物の犠牲の上にもたらされた現在の 『平和』 というものを私たちは大切に振り返る月にしたいものです。

 

ありがとうございました。合掌