2017年3月号
社長からのLove Letter 新創業第2期(16年度) 3月号
『我社の歴史』
新年度、またダスキン加盟50周年を迎えるにあたり、我社の歴史を少し振り返っておきたいと思います。
まず、ダスキン加盟は昭和43年(1968年)2月9日が調印ですので、来年の2月でちょうど満50歳ということになります。旧制の高松商業を卒業し当時フランス領だったベトナムのサイゴン市(現在のホーチミン市)にあった政府所管の高等専門学校 「南洋学院」 に進学した父博喜は、戦況激化・現地召集~敗戦・復員を経て地元で祖父と陶器の卸業を起こしました。その時のお取引先の一つだった愛知県のケントク窯業様(ダスキン創業者鈴木清一の実兄が経営)とのご縁がダスキンとの出会いのきっかけです。
「うちの弟がこんなん作って売りだしたんやけど、お宅も扱ってみませんか?」 とホームダスキンを見せて勧められ、それを見た祖父が 「これは落としても割れんし、軽うてええのぉ」 の一言から父が加盟を決意したそうですが、今から考えると何とも牧歌的な話ですね。たぶんレンタルシステムもフランチャイズチェーンのしくみも、また訪問販売の何たるかもよく分からず、信頼関係だけののんびりとしたスタートだった訳ですね。
加盟研修中、千里ニュータウンの団地をダブルの背広姿でモップを担いで営業した思い出を父は良く語っていましたが、当時の本社(中津・世界長ビル)でその後人生の師と仰ぐ鈴木清一氏と初めてお目に掛かった時は鮮烈な印象だったようです。
「‘橋本’はひらがなで ‘ダスキンはしもと’ としたらいいでしょう」 と創業者自ら名付け親になってくれたとか。
それから先代は本業から派生した形で海運業や贈答品の商売をしていく訳ですが、その間のダスキンのお仕事は母と陶器店のパートさんで仕事のあい間に行う、まさしく副業の時代を永く続けます。しかし、ダスキンを取り巻く環境も時代と共に段々と厳しくなり、そんな体制では立ちゆかなくなってきた時期の昭和55年、学生だった私に 「お前がダスキンをやれ」 の一言で不肖の三男がこのお仕事をお預かりすることに…。
会社の勤務経験もなく、また専従の働きさんもいない中、手形と小切手の違いも分からないほど経営の素人でしたので最初から試行錯誤の連続でしたが、昭和57年12月には 「株式会社ダスキンはしもと」(後にクエストに商号変更)として法人化し、徐々に組織員さんやお客様との有難いご縁を頂きながらやって参りました。
そして今から20年前平成9年10月現在地に 「ダスキン太田支店」 として移転し今日に至っております。
輝かしい足跡、という訳にはいきませんでしたが現在は直向きに活動する働きさん、組織員さんに恵まれダスキンFCの中でも中堅の加盟店として一定の存在感は示せていると思います。
新創業第3期(クエスト設立第36期)は心機一転改めて十年先を見据え、成長への再起動をかけ邁進していきたいと思っていますので、心を合わせてお客様の信頼を得られるよう頑張っていきましょう。
ありがとうございました。合掌